2014年05月25日

きょうの時間SF

『雷のような音』レイ・ブラッドベリ
今日は短編を。
凄く大雑把な話をする。
時間SFは、過去に戻って現在を(ということは現在の行動によって未来を)「改変可能」なものと「改変不可」なものに分類できる。過去に戻って両親の結婚を邪魔したから自分の存在が消えて行く、、、みたいなのが「改変可能」。過去の時点で何をしようとしても何らかの要因によって改変が阻止または修正されてしまうのが「改変不可」。
この二者はさらにその可能/不可能の理由によってもう少し細かく分化することができるが、それは現在格闘中の別の文章(早く仕上げなければ!)で触れるのでここでは割愛する。「決定論」とか「自由意志」とか「無矛盾のループ」とか「多世界解釈」とかのワードに引っ掛かる人は、そちらを待って欲しい。
話を戻すと、要するに「改変可能」なものは『バック・トゥ・ザ・フューチャー』や『ドラえもん』を想像すると良いだろう。どちらにも、SFとしてはかなり「軽い」ものとされている。逆に比較的「硬い」SF、所謂「ハードSF」で「過去に戻って現在を描き換える」ものは少ないと思う(どこまでがハードSFか、という議論の用意はあるが、ここでは一般論としての科学的にリアルなSFを指している)。やはり「人間が徐々に消えていく」みたいは現象を科学的考証で擁護するのは難しいからだろう。ちなみに昨日紹介した『スローターハウス5』は、「改変不可」に属する。ただしこの作品は全く「ハード」とは言えないが。
前置きが長くなったが『雷のような音』についてだ。まず確認しておくと、この作品は「改変可能」に分類できる。
タイムマシンで過去に戻ることが可能な世界。そこでは太古に戻っての恐竜ハンティングツアーが行われていた。ただし、歴史を改変しないようにできるだけ過去に干渉してはいけない。そのため、時間旅行者には厳しいルールが課せられていた。しかし主人公は、ある小さな、本当に小さな過ちを犯してしまう、、、
正直に言ってタネ明かしをすれば大した話ではない。というか、タネ自体なんでもないと感じるかも知れない。ただ、その道具立てというか、主人公の「過ち」の原因となる小道具が洒落ている。そう、洒落ているし、そして鮮やかなのだ。
さっきも言ったようにこの作品は「改変可能」に分類できるが、「時間移動による歴史改変の論理的矛盾」ついての物語だ。わざと小難しく言ったが、ブラッドベリはこの小難しい問題を、短い物語のたった一つの小道具で、鮮やかに解決してみせる。そこにカオス理論などを持ち出す必要ない。学術用語もグラフもそこには必要ない。いとも簡単に、誰にでも解る形で、ブラッドベリは時間移動という我々の手に負えないような難題に自分なりの答えを出してしまう。それを、頭を捻って理屈を絞り出したような作品でなく、軽やかにそして鮮やかに、我々に「見せて」くれるのだ。それはとても難しいことだが、ブラッドベリは抜群のセンスで、成し遂げてしまう。そこが、とても格好いい。
ブラッドベリはよくその叙情的な作風から「SF界の詩人」と呼ばれるが、俺は同時に「SF界の手品師」でもあると思っている。ブラッドベリは数多くの短編を書いたが、決して新しくない設定・ガジェットを、別の視点から鮮やかに切り取ってしまう手並みに何度も(作品数が物凄いので本当に何度も)唸らせられた。
なお、『雷のような音』は『サウンド・オブ・サンダー』という題で映画化されている。ただし安易なパニック映画に成り下がっているので、お勧めはしない。というより台無しにされて怒っている。


posted by 淺越岳人 at 00:13| Comment(0) | TrackBack(0) | SF | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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